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済生春秋

第61回 疑似体験でも

 健康のため、65歳の誕生日をもってアルコールをきっぱりとやめた。やめた後、半年ばかりは寂しかったが、ノンアルコールビールが代役を務めてくれた。アルコールを飲んだ気分になり、捨てたものでない。
 アルコールをやめたことで健康状態は、格段に良くなった。宴席もノンアルコールビールがあれば、楽しめる。

 日本のノンアルコールビールの質は、著しく向上した。外国でいくつかのノンアルコールビールを試したが、メイド・イン・ジャパンが断トツに優れている。ドイツも良かったが、日本が上だ。
 そもそも途上国では、現地産はなかった。「金を払って酔わない酒を飲むなんて、考えられない」と怪訝(けげん)顔だ。
 アルコールを飲まない人は、ノンアルコールビールを美味(おい)しいと感じないのではないか。私がノンアルコールビールを飲むのは、アルコールの疑似体験をするためだ。体が「これがビールの味だ」の感覚を記憶している。

 近所の神社に富士塚がある。岩を用いた階段で作られ、3分くらいで頂上に達する。途中に5合目、8合目などと表示がある。富士登山路のミニチュアである。
 江戸時代に作られたと説明がある。当時富士山に登攀(とはん)して祈るという富士山信仰が庶民に広がったが、体力や費用の問題でどんな人でもできるわけではなかった。その代わりに富士塚を登れば、富士山に登ったのと同じ効用があるという。

 最近、体力、時間、お金の制約からやりたくてもできないことが多くなった。
 温泉でのんびりすることは、20年以上機会がない。代わりに家の風呂で40年前に訪れた飛騨の平湯温泉などを思い出して、温泉の疑似体験に浸る。

 沢木耕太郎の青春の外国旅行記である『深夜特急』は、若いころ胸を躍らせて読んだ。このような旅に憧れた。20代、30代には可能だった。『深夜特急』には、遠く及ばないが、気ままな旅をして見聞を広めた。
 今は、もうできない。代わってテレビなどの旅行番組をみる。南米の奥地の村などの番組を見ながら現地を想像する。現地の実情と私の想像とはかけ離れているだろうが、これで楽しめる。

 現場体験は、貴重だが、疑似体験もうまく活用すれば、楽しいし、役に立ってくれる。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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