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済生春秋

第58回 忘れえぬ人

 師走になると連日、喪中欠礼の葉書が送られてくる。年齢を重ねるにつれ、枚数が増えた。最近は交流があった本人が亡くなった場合が含まれる。
 「彼が亡くなってしまったのか」と回想に沈む。 

 大学入学以来53年間、今日まで一貫して福祉の道を歩いてきた。社会の底辺で暮らす人々と生きてきた。生活時間を福祉の実践、行政、研究に当てた。
 趣味や遊びに興じるゆとりはなかったし、好きでもなかった。世の中の半分しか知らないで、今日まで生きてしまった。人からは「あいつは変わった奴だ」と冷笑された。
 だから交際範囲は、自ずと限られている。

 狭い交際範囲の私だが、すでに物故者となったけれど、大きな影響を受けた人は、かなりいる。
 彫刻家の金子健二さんと出会ったのは、30年前。私よりも2歳下だったが、人懐っこい穏やかな人だった。彫刻家としてたくさんの受賞に輝く作品を残した。代表作は、宮沢賢治が勤務した花巻農学校跡地に展示されている「風の又三郎群像」だ。
 彼は、認知症の母の世話をしていた時、絵を描くことが認知症の改善になることに気付いた。そこで彼は、認知症など精神に障害を有する人の改善のため独自の芸術療法の開発、普及に力を注いだ。これを実践する臨床美術士の養成も行った。
 晩年彼は、時々咳(せ)き込むことがあったから、自分の病状を知っていたのだろう。しかし、仕事を完成させたいという情熱が勝っていた。その情熱に押されるように私は、彼の事業を全国に普及する役目を担った。

 平成18年、環境事務次官を退官する時は、職場での送別会を辞退し、ひっそりと去った。でも金子さんは、「新しい船出の激励会をやろう」と強硬に言う。私は、「公務員と公務での利害関係者は呼ばない」という条件で了解した。
 当時の赤坂プリンスホテルで、庭園に面した豪華な部屋で行われた。平日の昼にもかかわらず、こんな私でも150人くらい参加してくれた。妻も一緒に呼ばれ、和やかで、これからの人生の励みになった。東京芸大出身の彼は、友人の著名なソプラノ歌手の歌まで用意してくれた。
 こんな心の優しかった金子健二さんは、この会の翌年、肺がんのため58歳の若さで亡くなった。彼は、激励会に私に残したいメッセージを込めたのだ。

炭谷 茂

すみたに・しげる

1946年富山県高岡市生まれ。69年東京大学法学部卒業、厚生省に入る。自治省、総務庁、在英日本大使館、厚生省社会・援護局長などを経て2003年環境事務次官に就任。08年5月から済生会理事長。現在、日本障害者リハビリテーション協会会長、富山国際大学客員教授なども務めている。著書に「環境福祉学の理論と実践」(編著)「社会福祉の原理と課題」など多数。

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